Stop thinking you can't do things and start thinking you can. Your future is whatever you make it, so make it a good one.

ピンク・レディー

ピンク・レディー(JPN)

#2140 / ピンク・レディー・ベスト / 2005

★★★★★

ピンク・レディー ペッパー警部

全盛期を76~78年とするならば、中2~高1の頃で、2年早くデビューしていたなら、もっとどっぷり嵌っていたに違いない。数々のヒット曲を手掛けたのは阿久悠と都倉俊一のコンビで、キャンディーズからわずか2年遅れのデビューなのに、都倉の曲はずいぶん近代的な気がする。作詞も相当奇を衒ってたよね。その発想は「カルメン」「シンドバッド」から「UFO」「モンスター」「透明人間」までエスカレートしていきました。では本ベスト盤収録曲を紹介しつつピンクレディーの歴史を振り返っていこうか。まずは76年、デビューシングル”ペッパー警部”…掲載ジャケはコレにしてみた。2ndシングルにしてオリコン1位を獲得した”S・O・S”売上枚数65.万枚。77年”カルメン’77”1位66.万枚。”渚のシンドバッド”1位100万枚。オリコン初のミリオンセラー。以後「モンスター」までオリコンでは5作連続でミリオンセラーを記録。”ウォンテッド(指名手配)”12週連続1位120万枚。”UFO”10週連続1位(‘78年間1位)155万枚。最大の売上を記録。第20回日本レコード大賞受賞。78年”サウスポー”オリコン初登場1位(‘78年間2位)。”モンスター”も1位、”透明人間”も1位、”カメレオン・アーミー”も1位。しかし79年”ジパング”で、”S・O・S”以来続いたオリコン連続1位記録が途切れる。”ピンク・タイフーン (In the Navy)はヴィレッジ・ピープルのカバー。ちなみにシングルB面もアラベスクの”ハロー・ミスター・モンキー”。”波乗りパイレーツ”のB面”USA吹込盤”にはビーチボーイズが参加。”Kiss in the Dark”は全米デビューシングル。脱アイドルがコンセプトの”マンデー・モナリザ・クラブ”。”Do Your Best”はオリンピック応援歌だったが翌年のモスクワ五輪はボイコット、出場予定選手のみならずピンクレディーにとっても不運でした。80年”うたかた”はアメリカでリリースされたアルバムに収録された”Strangers When We Kiss”の日本語バージョン。81年”Last Pretender”は作詞糸井重里、作曲高橋幸宏によるテクノ歌謡。ラストシングル”OH!”。手を尽くすも復権ならず。90年2度目の再結成時にリリースが見送られた”2年目のジンクス”と”ポロロッカ”、以上21曲が収録されています。余は満足じゃ。



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